東京公演ご報告☆スパート!
こんにちは~☆のりこです。
放りっぱなしにしてしまっていた「東京公演ご報告」・・・・・・
申し訳ありませんでした!!
ここから、スパートをかけて皆様にご報告していきたいと思います☆
さて、前回、
2011年3月チームのマリ、マモル、エミリ
2014年8月チームのキムラ、トモミ
1954年からやってきたベン
という、3チームがとある島で合流しました。
始めはお互いの存在を怪しむ3チーム・・・・・・。
しかし、この島で起こる様々なおかしなことを共有するうちに、お互いの存在を認めていきます。
島で起こる謎の出来事!
人語を話し、アクション!アクション!と飛び跳ねる・・・・・・犬!に襲われるキムラ!
どうやら「プードル」!
新キャスト・ダチョウ!に襲われるマモル!
野生化したダチョウ!
・・・・・・そして、島にこだまする、得体のしれない怪物の咆哮・・・・・・。
そんな中、1954年の「今」と、2011年3月の「今」と、2014年8月の「今」が語られていきます。
もちろん、似ているところもあったり、決定的に違うところもあったりします。
その中の一コマ
マリ 連作ラッキードラゴン。そのストーリーは出港を控えた福竜丸が停泊する焼津漁港から始まった。
そして23名は出航し、ビキニ諸島で被曝する。
ラッキードラゴンは、事実を描くことでその真実と痛烈な思いを語りかけてくる作品。
時も場所も越えた作品。その一つは福島にある。
ベン フクシマというところに・・・。
トモミ そんな原発の事故で、再びベンさんのラッキードラゴンも注目されるようになったの。
ベン そうか、それじゃ、僕の絵が多くの人に見てもらえたんだね。
キムラ ところがね、日本全国を廻ったあなたの展覧会は福島にだけは来なかった。
ベン え、なぜだ?
キムラ 答えは簡単さ。
フクシマに持っていけば放射能まみれになっちまうって、アメリカの美術館はOKを出さなかったせいさ。
ベン ばかな! 僕は、僕ならそんな決定を許さない。
放射能と、核と闘おうとした僕の絵は放射能に負けるのか。
トモミ いいえ、放射能に負けたのじゃないわ。芸術の力も信じない作品をまるで宝飾品のように扱う人の心に負けたの。
ベンさんの作品、すごく高い値が付けられているわ。宝物よ。
ベン ふざけるな!宝物なんかじゃない
キムラ ベン、信じられないかもしれないけど、世界はそんな風に動いているんだ。
ベン 僕は、芸術の力を信じて描いてきたんだ。
真実をただ見つめて、作品に表現しようとしているんだ。
世界に満ちた怒りを、悲しみを、描きたいだけだ。
僕の絵に値がついたとしても変わる訳が無い。だから人はものを作り、文明を築き、戦争をし、それでも愚直に生きようとしているの ではないのか。
だからたとえその瞬間間違った道を歩んでいたとしても、小さな共感が道をただすこともあるのじゃないのか。
それが芸術の力じゃないのか。
人が芸術に値段だけを付ける世界だと、未来は・・・。未来はどうなっちまうんだ・・・。
キムラ ベン、甘いんだよ。経済ってやつは芸術を凌駕するんだ。
マリ いったいどんな世界になっているというの・・・。
キムラ いや、世界はちっとも変わらなかった。
僕たちの生活が変わっただけだった。
芸術は世界を変えることができるのか。
表現活動の根底にある問題を、震災そして原発事故後の福島をモデルにして語っていきます。
そして巨大な怪物の咆哮。その怪物とは・・・ゴジラ
キムラ あなたは絵画という手段で、ゴジラは怪獣映画という手段でただの情報を越えるものを人の心に訴えようとした。ああ、過去形にしてしまったけれど、ベン シャーン、あなたはこれからラッキードラゴンという連作に挑む。が、しかし、第五福竜丸のこともあなたの絵のことも人は忘れ去り、福島の事故が起こる。
芸術が人の意識を変えることなど無かったということです。俺にはね、あのゴジラの鳴き声は自分の無力さを嘆いているように聞こえますよ。
ベン 君は何がいいたい。
キムラ なんてことは無い。
人は当事者であろうとはしない。当事者ではいたくないんだ。
その心理が常に働き、ゴジラは正義の味方になり、あなたの絵はただの宝物となる。
あなたのいう芸術なんぞ結局は人の心に響きはしないってことですよ。
マリ 違います。私にはそうは思えない。
芸術、当事者性などが、悔しく、悲しく、でもあきらめたくない気持ちで語られていきます。
そして、2011年3月まさに当事者だったマリの言葉を記したキムラの取材ノートを、エミリが読み上げていきます。
「地震と津波の日のこと。」
夢を見ているのかと思った。
まるでこんにゃくのように揺れるビル。
目の前で崩れる建物。勝手に動く車。
立ち上る砂埃。スパークする電線。
パニック映画のワンシーンか。冷静さを
欠いた頭では現実であることが受け止めきれない。
とにかく家に帰りたかった。
気を取り直してハンドルをしっかりと握る。
浪江町から双葉町へ抜ける旧道は壊滅していた。
警察官が海の方へ誘導するまま6号線に乗る。
しかし30分経っても1時間経っても車は一向に進まない。
車の窓を開けて微かに聞こえる防災無線に耳を傾けるが、何かを懸命に伝えているようだということしかわからない。
そして海からの風が今までに経験したことがない鼻を突く匂いを運んできた。唯一喩えるなら髪の毛を焼いたような、爪を焼いたような。たまらず窓を閉める。
海の方に真っ黒な煙のようなものが立ち上がっている。しかしそれが津波であったことに気づくのは後のことでした。なにしろ、津波の色が黒いなんて想像したことが無かったものですから。余震は何度も私の心を不安にさせた。脳裏によぎるのは家族が潰れた家の中で呻いている姿ばかり。早く帰らなくちゃ。
双葉から歩いて逃げてくる人たちに街の入り口が封鎖されていることを聞いた。動かない車列からはなれて一か八か脇道にそれてみることにした。
どうか通れますように。
マンホールが飛び出していたり、アスファルトが隆起していたりはしたが、どうにか走れた。
途中、ものすごい形相の東電の人たちと何度もすれ違う。
原発から、離れよう、離れようとしているように見える・・・・・・どうして??
そして、邂逅・・・・・・。
この島は、未来の福島の姿なのかもしれない・・・。
この世界の姿を見ることができて良かった。だって、これをみた私たちは、もう同じことを繰り返そうなんて思わないから。
違う未来を選べるから。
そして、ベンはこの島を「ラッキーアイランド」と名付けます。
舞台に居るすべての人たちがつながっていきます。
そこに!!
ゴジラの咆哮
しかも、ぼんやりとゴジラが向かう先に見えてきたのは・・・・・・
福島第一原発
フクイチを、ゴジラが襲おうとしている!!!
なんとかして、フクイチをゴジラの手から守らなければ、世界が再び放射能に覆われる!
それを阻止せんとさっそうと現れたのが、
プードル!そしてダチョウ!
昨日の敵は、今日の友。
犬軍団と、ダチョウは、ゴジラをやっつけるべくフクイチへと向かっていきます。
そして、その犬軍団を率いていたのは、3兄妹の愛犬・銀!
なんと銀も、このラッキーアイランドに飛ばされていたのです。
大型犬軍団、プードル軍団、ダチョウ軍団、連係プレイでゴジラと闘っていきます。
見守り、応援することしかできないニンゲン。。。
しかし、トモミがあることに気づきます。
プードルが闘いに赴く前、私たち人間に託していった謎のビン。その中に、楽譜が入っている!
そしてその楽譜は、ベートーベンの第9!
どうやらその楽譜入りのビンは、プードルに代々伝わって来たもので、ニンゲンの匂いのするやつが現れたらそれを託せ、という言い伝えがあったそうなのです!
第9を歌う人間。
すると、犬やダチョウ達の攻撃に勢いが加わります。
そして、第9によって、人間は前向きに、そして強く応援することができます。
芸術は、決して無力なんかじゃない!
歓喜の歌。
歓喜の歌。
歓喜の歌。
そしてベンは、強く強く絵筆を滑らせます。
「僕たちには芸術の力がある!」
そして、絵がかきあがる!!
それがこちら!!
「東京はあっち→」
(正直なところ、これを東京でやるのは勇気がいりました。でも、東京のお客さんは笑ってくださいました)
それを見て、ハッとしてうなずくゴジラww
そして海に還って行くゴジラ。
大団円です!!
マリ 銀!銀!頑張ったね!銀!みんなで一緒にうちに帰ろう!
ワオ~~~ン!
・・・・・・・・・・・・・
と、ここまでが、郡山公演、そして福岡公演の終わり方でした。
しかし、東京公演では、ラストをガラリと変えました。
3年半。
お芝居を創り続けて来た。お芝居の力を信じて。
走って走って公演して公演して走って信じて信じて裏切られてそれでも信じたいと血を流し叫びながらお芝居を続けてきました。
・・・・・・いったい何が変わった・・・・・・?
相変わらず福島にはモニタリングポストが立ち、汚染水は流され、「安全説」と「危険説」両方が流れ、そして報道そのものが少なくなり、いつのまにかタブー視されるようになってきた福島。
問題は解決したかと思えばまた新たな問題が起き、住民の意識レベルでの摩擦も減ることなない。
擦り傷を毎日負うような生活。生活の中で常に選択を迫られる日常という非日常。
そう考えたとき、お芝居のラストは変わりました。
次回で、東京公演ご報告は最後です。
「東京公演ご報告☆変化したラスト編」
お楽しみに!!
団員のりこでした☆
放りっぱなしにしてしまっていた「東京公演ご報告」・・・・・・
申し訳ありませんでした!!
ここから、スパートをかけて皆様にご報告していきたいと思います☆
さて、前回、
2011年3月チームのマリ、マモル、エミリ
2014年8月チームのキムラ、トモミ
1954年からやってきたベン
という、3チームがとある島で合流しました。
始めはお互いの存在を怪しむ3チーム・・・・・・。
しかし、この島で起こる様々なおかしなことを共有するうちに、お互いの存在を認めていきます。
島で起こる謎の出来事!
人語を話し、アクション!アクション!と飛び跳ねる・・・・・・犬!に襲われるキムラ!
どうやら「プードル」!
新キャスト・ダチョウ!に襲われるマモル!
野生化したダチョウ!
・・・・・・そして、島にこだまする、得体のしれない怪物の咆哮・・・・・・。
そんな中、1954年の「今」と、2011年3月の「今」と、2014年8月の「今」が語られていきます。
もちろん、似ているところもあったり、決定的に違うところもあったりします。
その中の一コマ
マリ 連作ラッキードラゴン。そのストーリーは出港を控えた福竜丸が停泊する焼津漁港から始まった。
そして23名は出航し、ビキニ諸島で被曝する。
ラッキードラゴンは、事実を描くことでその真実と痛烈な思いを語りかけてくる作品。
時も場所も越えた作品。その一つは福島にある。
ベン フクシマというところに・・・。
トモミ そんな原発の事故で、再びベンさんのラッキードラゴンも注目されるようになったの。
ベン そうか、それじゃ、僕の絵が多くの人に見てもらえたんだね。
キムラ ところがね、日本全国を廻ったあなたの展覧会は福島にだけは来なかった。
ベン え、なぜだ?
キムラ 答えは簡単さ。
フクシマに持っていけば放射能まみれになっちまうって、アメリカの美術館はOKを出さなかったせいさ。
ベン ばかな! 僕は、僕ならそんな決定を許さない。
放射能と、核と闘おうとした僕の絵は放射能に負けるのか。
トモミ いいえ、放射能に負けたのじゃないわ。芸術の力も信じない作品をまるで宝飾品のように扱う人の心に負けたの。
ベンさんの作品、すごく高い値が付けられているわ。宝物よ。
ベン ふざけるな!宝物なんかじゃない
キムラ ベン、信じられないかもしれないけど、世界はそんな風に動いているんだ。
ベン 僕は、芸術の力を信じて描いてきたんだ。
真実をただ見つめて、作品に表現しようとしているんだ。
世界に満ちた怒りを、悲しみを、描きたいだけだ。
僕の絵に値がついたとしても変わる訳が無い。だから人はものを作り、文明を築き、戦争をし、それでも愚直に生きようとしているの ではないのか。
だからたとえその瞬間間違った道を歩んでいたとしても、小さな共感が道をただすこともあるのじゃないのか。
それが芸術の力じゃないのか。
人が芸術に値段だけを付ける世界だと、未来は・・・。未来はどうなっちまうんだ・・・。
キムラ ベン、甘いんだよ。経済ってやつは芸術を凌駕するんだ。
マリ いったいどんな世界になっているというの・・・。
キムラ いや、世界はちっとも変わらなかった。
僕たちの生活が変わっただけだった。
芸術は世界を変えることができるのか。
表現活動の根底にある問題を、震災そして原発事故後の福島をモデルにして語っていきます。
そして巨大な怪物の咆哮。その怪物とは・・・ゴジラ
キムラ あなたは絵画という手段で、ゴジラは怪獣映画という手段でただの情報を越えるものを人の心に訴えようとした。ああ、過去形にしてしまったけれど、ベン シャーン、あなたはこれからラッキードラゴンという連作に挑む。が、しかし、第五福竜丸のこともあなたの絵のことも人は忘れ去り、福島の事故が起こる。
芸術が人の意識を変えることなど無かったということです。俺にはね、あのゴジラの鳴き声は自分の無力さを嘆いているように聞こえますよ。
ベン 君は何がいいたい。
キムラ なんてことは無い。
人は当事者であろうとはしない。当事者ではいたくないんだ。
その心理が常に働き、ゴジラは正義の味方になり、あなたの絵はただの宝物となる。
あなたのいう芸術なんぞ結局は人の心に響きはしないってことですよ。
マリ 違います。私にはそうは思えない。
芸術、当事者性などが、悔しく、悲しく、でもあきらめたくない気持ちで語られていきます。
そして、2011年3月まさに当事者だったマリの言葉を記したキムラの取材ノートを、エミリが読み上げていきます。
「地震と津波の日のこと。」
夢を見ているのかと思った。
まるでこんにゃくのように揺れるビル。
目の前で崩れる建物。勝手に動く車。
立ち上る砂埃。スパークする電線。
パニック映画のワンシーンか。冷静さを
欠いた頭では現実であることが受け止めきれない。
とにかく家に帰りたかった。
気を取り直してハンドルをしっかりと握る。
浪江町から双葉町へ抜ける旧道は壊滅していた。
警察官が海の方へ誘導するまま6号線に乗る。
しかし30分経っても1時間経っても車は一向に進まない。
車の窓を開けて微かに聞こえる防災無線に耳を傾けるが、何かを懸命に伝えているようだということしかわからない。
そして海からの風が今までに経験したことがない鼻を突く匂いを運んできた。唯一喩えるなら髪の毛を焼いたような、爪を焼いたような。たまらず窓を閉める。
海の方に真っ黒な煙のようなものが立ち上がっている。しかしそれが津波であったことに気づくのは後のことでした。なにしろ、津波の色が黒いなんて想像したことが無かったものですから。余震は何度も私の心を不安にさせた。脳裏によぎるのは家族が潰れた家の中で呻いている姿ばかり。早く帰らなくちゃ。
双葉から歩いて逃げてくる人たちに街の入り口が封鎖されていることを聞いた。動かない車列からはなれて一か八か脇道にそれてみることにした。
どうか通れますように。
マンホールが飛び出していたり、アスファルトが隆起していたりはしたが、どうにか走れた。
途中、ものすごい形相の東電の人たちと何度もすれ違う。
原発から、離れよう、離れようとしているように見える・・・・・・どうして??
そして、邂逅・・・・・・。
この島は、未来の福島の姿なのかもしれない・・・。
この世界の姿を見ることができて良かった。だって、これをみた私たちは、もう同じことを繰り返そうなんて思わないから。
違う未来を選べるから。
そして、ベンはこの島を「ラッキーアイランド」と名付けます。
舞台に居るすべての人たちがつながっていきます。
そこに!!
ゴジラの咆哮
しかも、ぼんやりとゴジラが向かう先に見えてきたのは・・・・・・
福島第一原発
フクイチを、ゴジラが襲おうとしている!!!
なんとかして、フクイチをゴジラの手から守らなければ、世界が再び放射能に覆われる!
それを阻止せんとさっそうと現れたのが、
プードル!そしてダチョウ!
昨日の敵は、今日の友。
犬軍団と、ダチョウは、ゴジラをやっつけるべくフクイチへと向かっていきます。
そして、その犬軍団を率いていたのは、3兄妹の愛犬・銀!
なんと銀も、このラッキーアイランドに飛ばされていたのです。
大型犬軍団、プードル軍団、ダチョウ軍団、連係プレイでゴジラと闘っていきます。
見守り、応援することしかできないニンゲン。。。
しかし、トモミがあることに気づきます。
プードルが闘いに赴く前、私たち人間に託していった謎のビン。その中に、楽譜が入っている!
そしてその楽譜は、ベートーベンの第9!
どうやらその楽譜入りのビンは、プードルに代々伝わって来たもので、ニンゲンの匂いのするやつが現れたらそれを託せ、という言い伝えがあったそうなのです!
第9を歌う人間。
すると、犬やダチョウ達の攻撃に勢いが加わります。
そして、第9によって、人間は前向きに、そして強く応援することができます。
芸術は、決して無力なんかじゃない!
歓喜の歌。
歓喜の歌。
歓喜の歌。
そしてベンは、強く強く絵筆を滑らせます。
「僕たちには芸術の力がある!」
そして、絵がかきあがる!!
それがこちら!!
「東京はあっち→」
(正直なところ、これを東京でやるのは勇気がいりました。でも、東京のお客さんは笑ってくださいました)
それを見て、ハッとしてうなずくゴジラww
そして海に還って行くゴジラ。
大団円です!!
マリ 銀!銀!頑張ったね!銀!みんなで一緒にうちに帰ろう!
ワオ~~~ン!
・・・・・・・・・・・・・
と、ここまでが、郡山公演、そして福岡公演の終わり方でした。
しかし、東京公演では、ラストをガラリと変えました。
3年半。
お芝居を創り続けて来た。お芝居の力を信じて。
走って走って公演して公演して走って信じて信じて裏切られてそれでも信じたいと血を流し叫びながらお芝居を続けてきました。
・・・・・・いったい何が変わった・・・・・・?
相変わらず福島にはモニタリングポストが立ち、汚染水は流され、「安全説」と「危険説」両方が流れ、そして報道そのものが少なくなり、いつのまにかタブー視されるようになってきた福島。
問題は解決したかと思えばまた新たな問題が起き、住民の意識レベルでの摩擦も減ることなない。
擦り傷を毎日負うような生活。生活の中で常に選択を迫られる日常という非日常。
そう考えたとき、お芝居のラストは変わりました。
次回で、東京公演ご報告は最後です。
「東京公演ご報告☆変化したラスト編」
お楽しみに!!
団員のりこでした☆